04/08 ヒトリエ・wowakaさんのnewsを受けて思うこと。
2019年 04月 08日
ヒトリエからのお知らせhttps://t.co/TMWBv7oPjR
— ヒトリエ (@hitorieJP) 2019年4月8日
ヒトリエ、という名は、目にしたことはありましたが、どういう流れでか…きっかけは覚えていません。曲を聴いたことはなく、バンド自体のこともよくは知りません。なので本来、この投稿はなにも知らない私が書くことではないことは自分でも承知しています。
それでも、Twitterでwowakaさんのlast tweetを目にしたとき、その時に感じたことを、LIVEを通して縁あったJスレさんにも伝えたくて書かせてもらっています。
令和きれいだー。
— wowaka (@wowaka) 2019年4月1日
新元号が発表された直後(11:46AM)に、wowakaさんはこれをtweetしていたようです。
音と言葉に携わっている人だから、音としての"れいわ" という響きのうつくしさをwowakaさんも感じていただろうと想像します、このtweetを見ていると...。
そして、わたしがこのtweetを見たとき思ったのは、
時代を越えるということは じつはあたり前のこと 簡単なことではないんだってこと
ひとつの時代からまた新しい時代を生きていけるということは ある意味 とても幸運なんだ ってこと
... でした。
wowakaさんが令和の時代にも生きて音楽を続けていたら、その時はまた違った思いになっていたかもしれない。でも、少なくともあと1ヵ月後にはじまる令和の時代を、4月1日のその日、wowakaさんは "きれいだ" と言っていた。
描いていたであろう未来での自分たちの音の世界を、今回のようなかたちで終えなくてはならなかったことは、たとえ人生が生まれる前からブループリントなりアカシックレコードに記されていたしても、個人的には惜しまずにはいられません。
生きたい人が、自分の本意ではなくこの世界を去らねばならない場面に遭遇すると、とてもやり切れない気持ちになります。どんなにスピリチュアルな世界のことに触れていても、人間として生きているわたし は、やるせない気持ちです。
それが若いいのちであればあるほど...。
新しい時代、令和の時代まであと数週間。今、わたしたちは、すでにその門前に立ち、ゲートが開くのを待っている状態まで来ているのでしょう。
それでも -
本当にすぐ目の前にあるのに、それでも平成から令和のゲートを越えられない人もいるのです。
その現実をあらためて見つめたとき、元号をいくつも重ねていくこと、生きていける人生に在ることは、ある意味とてもしあわせな経験を積ませてもらっていることなんだ、と。
そのことをヒトリエのwowakaさんにあらためて教えてもらいました。
ありがとう ... ひとまず今世での
音楽活動 おつかれさま
どこの世界にいようと
変わらずに 音楽と生きていてください 。